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インタビュー「私と仕事」

第14回 2010・3
『軽度発達障害相談室』
ピア・カウンセラー 山口政佳さん
コーチングアドバイザー 山口由起子さん

 私が山口政佳さんに出会ったのは、数年前に長野市で開かれたピア・カウンセリング講座でした。ピア・カウンセリングというのは、障害のある仲間同士、対等な立場で話を聴きあうカウンセリングで、自己信頼の回復や自立を目標としています。
 講座中、政佳さんは、誰に対しても非常に親切でした。参加者の中には、車椅子から、度々ずり落ちそうになる方がありましたが、政佳さんは、何十回でも、優しく抱え上げていました。目の見えない私たちが移動に困っていると、すぐに気づいて、手を貸してくれました。
 政佳さんは「僕はADHDという軽度発達障害があって、特に人間関係に障害があります」と、自分の障害について説明していました。しかし、障害を理由に人間関係を投げやりにすることなく、真摯な努力を重ねている方だと私は感じました。
 そこで、政佳さんを通して、軽度発達障害への理解を深めたいと願って、インタビューを申し込んだところ、コーチの山口由起子さんと二人で、白馬村から長野市のコーディネートプラザまで会いにきてくださいました。
 政佳さんは、北海道の中標津町の生まれで、現在34才。19才のときから、親戚である由起子さん一家と共に、家族として暮らしています。
 政佳さんは、24才のときに、ADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されました。その後、28才のときに、由起子さん一家が、富良野から白馬村に転居することになったため、自分も長野県で発達障害の人々に役立つ仕事をしたいという希望をもって、白馬村へ転居しました。介護員の資格を取得して、老人ホームで働いた経験があります。
 現在は、外国人が経営するホテルで経理を担当すると共に、「松本圏域障害者相談支援センターぴあねっと・まつもと」のピア・カウンセラーとして、コーチの由起子さんと共に、松本市、長野市などで、軽度発達障害当事者の相談に応じています。
 対談は、政佳さんのご希望により、コーチの由起子さんと3人で行いました。

里枝子
「政佳さんにとって、コーチはどんな存在ですか?」
政佳
「コーチは、僕が言いたいことを、一番よく理解している人なんです。僕は話をしていると、つまったり、間違った言い回しをしたり、後で後悔することがあるんです。そういうのを防ぐ役割をしてくれるんです。通訳だったり、介助者のような役割をしてくれます。」
由起子
「ADHDの特性として、話を飛ばしてしまったり、枝道から帰ってこれなくなったり、思っていることと違う言い回しを使ってしまうことが多々あるので。私は止めたり、引き戻したり、確認したり。そういう役割をしています。」
里枝子
「わかりました。ところで、政佳さんの子どもの頃は、まだADHDなどの発達障害の診断がつくことは希な時代でしたでしょ?政佳さんがADHDだとわかったのは、どんなきっかけでしたか?」
政佳
「最初に僕のADHDに気づいたのは、コーチの息子が通っていた保育園の先生です。その先生とは、僕が20歳のときに出会って。実際に診断を受けたのは僕が24才のときでした。その間にあったことは、コーチが説明したほうがいいと思います。」
由起子
「政佳が、19才から、うちで生活を始めた時から、日々、ADHD的な失敗をやらかしていくわけですけれど、その生活の中で、息子の保育園の先生が、私の相談相手になってくれました。それで、政佳の障害のことを、だんだんと私に理解させて下さったのです。そして、政佳が24才の時に、私と主人と、その先生との協力で、医療に結びつける事が出来ました。」
里枝子
「ADHDと診断されたことを、政佳さんは、どう受け止めましたか?」
政佳
「一言でいえば、ホッとしました。当時鬱状態だった僕は、今までに出来なかった事とか、失敗した事とか、やってしまった事とかが、自分の人間性の問題じゃなくて、障害の故に起きてしまった事なんだとわかって、ホッとしたんです。まだ、自分は『生きてていいんだ』って思えて。診断を受けた時に、先生から『山口さん、やっても無駄なんじゃなくて、やり方が違っていたんですよ』と言われた言葉が印象に残ってます。それから、自分に合った方法を、コーチや先生に手伝ってもらいながら、探したり、作ったりしたわけです。本を読んで『ああ、こういうことなのか!!』と、分かったりもしました。」
由起子
「『まさか自分の取り扱い説明書が、本屋さんに並んでいるとは思わなかった!』というのが、そのときの政佳の言葉でした。」
政佳
「ただ、今おもえば、その頃の理解は、まだ表面的なものだったと思うんです。どう言えばいいんだろう…。」
由起子
「新しい発見があるのって面白いなあっていう時期?」
政佳
「そうそう!なので、その後に来たのは、そうは言っても、俺って障害者なんだってことなんです。ADHDだとわかって安堵する部分と、そうは言っても障害者なんだって落ち込む部分と、その間で、揺れ動いている時期があって…。」
由起子
「その頃政佳は、主人から、『知らなかった頃は仕方ない。今は、自分がADHDだって知ってるんだから対策たてろ』って、よく言われてました。だから、ハードルは上がったわね。(笑)」
政佳
「それがなかったら、僕はどうなってたでしょう?しつけもせずに『この子、ADHDだから仕方ないんです』って、ただ甘やかすだけで、周りにも同じ対応を求めるような親に会うと、頭にきます。それじゃ子どもが社会に出られません。」
里枝子
「では、今度はお仕事のことをうかがいます。政佳さんは、白馬村に移ってから由起子さんの勧めで、介護員の資格を取得して、老人ホームで働いたそうですね。どんなふうに働いてきたのでしょう?」
政佳
「女性の多い職場でしたから、困ったのは職場の人間関係でした。どこが本音かわからなくて… 、でも、爺ちゃん婆ちゃんとの付き合いは、すごく楽しかったんですよ。」
里枝子
「そうでしょう!政佳さんは、優しいし、正直だし、よく気がつくもの。」
政佳
「僕も、お年寄りが大好きだったんですよ。介護中に腰を痛めて辞めたんですけれど、その最後の時が、一番良かったなと思うんです。僕が長イスに横になっていたら、車椅子をこぐのも大変なお年寄が、えっこらえっこらやって来て口々に『山口さん、どうしたね?』って心配してくれて、最後に『愛されてたんだなあ』って…、今思い出しても、すごく嬉しくなります。」
里枝子
「政佳さんの真心が、お年寄りに伝わっていたのでしょうね。政佳さんは、現在は、どのように働いていますか?」
政佳
「生活のための仕事は、ホテルで毎日、経理をしています。集中力が続かない障害ですから、間違いが多かったり、記憶が曖昧だったりして、とても効率が悪いのは確かです。でも、何とかやっています。」
里枝子
「経理の仕事は補助はいらないんですか?」
由紀子
「そうですね…政佳にとって経理の仕事は、パソコンが好きで得意だという所を生かせる仕事なので、比較的、問題はないんですが、仕事に限らず日常的に政佳から話を聞き出し、細かい事でも大きな事でもすぐに助言できる状況にしておく家族のサポートは必要です。」
里枝子
「なるほど。そして、もう一方にあるのが、コーチの由起子さんと二人でやっている講演活動と、軽度発達障害相談室の仕事ですね。講演は、どんなテーマでやっていますか?」
政佳
「『僕のADHD』というテーマです。僕の日常生活や、こういうふうに感じて生きてます。こういうふうに助けて欲しいと話しています。支援者を増やしたいとの思いで講演をして行くうちに、様々な立場の方々から相談が舞い込むようになりました。」
由起子
「障害に関する相談は、その人の環境や、家族状況など、すべてを加味して対策を立てないとならないので、一人一人に丁寧に応じなければなりません。ちゃんと日を決めて対応する必要が生じて、相談室を始める事になりました。」
政佳
「現在は、“思春期以降のケース”に限定して相談を受けています。」
由起子
「私たちの支援の目標の一つは、まず、『自分が自分の障害を理解して、周りの人に説明できるようになる事』です。それが社会の中で、心地よく生きて行くスタートラインになると考えています。」
里枝子
「最後に教えてほしいのですが、軽度発達障害の方と共に働く場合、職場では、どのような配慮をしたらいいでしょうか?」
政佳
「その職場ひとつだけで何とかしようと思わないで、その人を助けてくれる別の力も入れてほしいと思います。その職場だけだと、関係性が固まってしまう事が多いんです。特に、職場に溶けこむまでの導入役みたいな人が居てくれると、すごく良い。ジョブコーチとか、支援センターの職員とかを介して、職場の人達と当人が、お互いに接し方を学べたら良いと思います。」
由起子
「職場によっては、『大丈夫?あたしに何でも言いなさいよ』と声をかけてくれるようなオバチャンがいて、成り立っている所もあるでしょうけれどね。」(笑)
政佳
「社会全体に、もっと人を育てる余裕があったら良いのにって、僕は思うんですよね。それが無いと、発達障害のない人も生きにくいよなって。失敗できない世の中って、怖いよねって思うんです。」
由起子
「必要なのは、人は社会で育てるものだ、補いあうものだという大きな捉え方だと思います。」

コーチの山口由起子さんは、この他にも、こまやかに助言しておられましたが、紙面の都合上、割愛しました。

山口政佳さん、山口由起子さんへの講演や、相談のご依頼は、「松本圏域障害者相談支援センターぴあねっと・まつもと」へどうぞ。