インタビュー「私と仕事」
第7回 『ねば塾』で働く須田宗幸さんと塾長の笠原愼一さん 2006・12
社会で働きたいと望む、心身にハンディーを持つ人々がおります。彼等は福祉施設のような保護保証を望むのではなく、誰でもがしている当たり前の暮らし(自ら働き、その収入で暮らす)を求めております。そんな彼等と「障害者」「健常者」という概念を捨て、共に働く場所として『ねば塾』は設立されました。
『有限会社 ねば塾』のホームページにあるこの言葉を読んで、私は学生時代に訪ねたことのある『ねば塾』をもう一度訪ねて、笠原塾長とそこで働く知的障害のある社員の方から、お話を聴きたいと思いました。『ねば塾』は佐久市の西端に位置し、雑木林と田んぼに囲まれた自然豊かな所にあります。
先に話してくださったのは、『ねば塾』の社員の須田宗幸さんです。須田さんは佐久市の出身で、24才。中学を卒業してから、『ねば塾』で時々アルバイトをするようになり、2年ほど前から正社員になりました。現在は『ねば塾』のグループホーム『蛍雪庵』から通勤しています。
日焼けした明るい顔に、茶色のロン毛。今年の4月に八千穂で開かれたダーツの全国大会では、見事に優勝しました。ダーツというのは、ボールペンほどのサイズの矢を投げて、離れた的に正確に当てる競技です。対談には笠原塾長の奥様で、寮母の笠原礼子さんが同席してくださいました。
- 里枝子
- 「ダーツで全国優勝なんて素晴らしいですね。ところで、須田さんは、今、どんな仕事を受け持っているんですか?」
- 須田
- 「駒場公園という所で働いています。」
- 礼子
- 「駒場公園は佐久市にある県立の公園で、その管理を『ねば塾』が20年ぐらい受け持っています。冬場、公園の仕事は雪かきぐらいですから、須田君は、冬は『ねば塾』の石鹸工場で働いています。」
- 里枝子
- 「須田さんは、石鹸工場ではどんな仕事をしていますか?」
- 須田
- 「石鹸の袋詰めをしています。」
- 里枝子
- 「須田さんが、一番やりがいがあるなあと感じるのはどんな仕事ですか?」
- 須田
- 「ビーバーです。草刈りが一番。ここまでやると決めて、そこまでやらないと終わりにしません。時間を気にしないでやっちゃうから、お昼過ぎちゃったりしますけど。」
- 礼子
- 「きれいになるし、みんなに喜ばれるものね。ご苦労さんって言ってくれる人もあるでしょ?」
- 須田
- 「言ってくれるね。たまに『飲みな』って、ジュースとかくれたり。あと、ここは草が伸びてきてるから刈ろうかなとか、どこからどこを刈るんだって決めるのも、けっこう楽しみだな。」
- 里枝子
- 「公園の仕事は何人でやっていますか?」
- 須田
- 「8人です。」
- 礼子
- 「朝は、まずゴミを拾って。トイレ掃除をする人はして。草刈りと剪定と、芝刈りもみんなでやっています。」
- 里枝子
- 「公園のお掃除をしていると、ゴミが落ちていたり、色々気づくことがあるでしょうね。」
- 須田
- 「『自分のゴミは持ち帰りましょう』って看板が立っているんだけど、けっこうすごい物が落ちてます。犬の餌とか、おむつとか、生ゴミとか、花火のゴミとか。色々落ちてるから仕分けするのが大変です。」
- 里枝子
- 「ご苦労いただいてるんだなあ。毎日お仕事は何時から何時までですか?」
- 須田
- 「朝は9時からです。夕方は4時半までです。」
- 礼子
- 「須田君は今、お給料はどのくらいだっけ?」
- 須田
- 「8万から9万かな。」
- 礼子
- 「そのお給料の中から、食費込みで35,000円ほどを寮(グループホーム)に毎月払ってもらっています。障害者自立支援法ができて、今年度から利用者は1割の自己負担があるんですね。でも、皆さん自分で働いたお金で寮費を払っています。」
次に、笠原愼一塾長に『ねば塾』の歩みや事業内容等について伺いました。
- 里枝子
- 「『ねば塾』の創立は何年でしょうか?」
- 笠原
- 「1978年の12月からです。それまで私は、上田の重度障害者の施設に勤めていました。そこの子を2人ひきとって始めたのが、この事業のおこりです。初めは4年ぐらい、その2人の方と一緒に外へ働きに出かけていました。土木業です。お弁当持ちで、毎日3人で働いていたんだけれども、希望者が段々増えてきたものですから、自分で何かやらなきゃいけないかなってことで始めたのが、この石鹸屋です。」
- 里枝子
- 「笠原さんが、施設でなく地域で障害者と共に働くことに決めたのは、どんなお考えからですか?」
- 笠原
- 「まず、施設にいた彼等が、外で働きたいっていう希望を持っていました。で、考えたんです。彼等だけ地域へ出しても、うまく勤まらないことが多いかもしれないけれど、自分が毎日、同じ職場へ弁当持ちで通ってたら、使ってくれる所も多いだろうと。もし問題がおきたら、いつでも対処しますっていう責任を自分がとることによって、何とかなっていくのかなって、そういう思いがあったんだなあ。いや、だけど黒字になってきたのは最近ですよ。」
- 里枝子
- 「そうなるまでには様々なご努力があったでしょうね。」
- 笠原
- 「『ねば塾』は、最初から、補助金を受けないでやっていこうという姿勢だったですからね。正直、何年かは赤字赤字で、自分だけ夜、仕事に出た時期があるんです。でも、ひとつだけ俺はたいしたもんだなって想うのは、給料の遅滞が一度もなかったことです。彼等との約束ですからね。ここ何年か前から、少しずつ黒字になってる。今年の前期には、税金が800万円ぐらい払えました。」
- 里枝子
- 「わあ、そこまで来たんですね。今はどんな事業をしていますか?」
- 笠原
- 「一番は石鹸。150種類ぐらい造っています。それからコンニャク工場が新設されて、コンニャクのスポンジ。それから、県立の駒場公園という3万坪の公園の除草・清掃の作業。もう一つ、電話帳の便利屋の項目に『ねば塾』が載っているんですけれど、色んな仕事を頼まれて、お手伝いに行く分野があります。地域の人と、少しでも交流を持とうという思いがあるんですよ。」
- 里枝子
- 「どんな交流をつくりたいとお考えですか?」
- 笠原
- 「この地域に根を下ろして28年たちますが。実際に彼等にできることが地域の中に、けっこうあると思うようになりました。特にこういう農村地帯では、老人世帯や一人暮らしのお宅が増えているんですよね。たとえば雪が急に降った時、足腰の悪いお年寄りじゃ、家の前の雪かきもままならない。うちのメンバーっていうのは比較的若いし、体は動く。みんながすぐとんで行って、その家の前の雪ぐらいはかける。この地域に彼等が住んでいてよかったって思われるような、そんな存在になっていきたい。そのためには、何かしてもらうじゃなくて、地域の中で、自分等に何ができるかを考えて社会に貢献することが大事だと考えているんですよ。」
- 里枝子
- 「最後に、須田さんのことに戻りますが、先ほどお話を聴いて、生き生きと働いておられる様子が伝わってきました。笠原さんは須田さんの仕事ぶりについて、どんなふうに感じていますか?」
- 笠原
- 「まず、もともと持っている能力が高い子です。若いし、草刈機の使い方を教えたら、早く覚えてくれました。機械を使うことは、若い者にとって楽しいようですね。こんな機械を使いこなせるんだってことが、彼の自信にもつながっています。一般に知的障害の方たちの場合には、自信とか誇りを持ちにくいことがあります。いつも他の人と比較されて、お前は駄目だとか、数ができない。遅い。そんなふうに言われて育っている彼等が、ひとつずつマスターして、ひとつずつ伸びていく。そしてそれを褒められるっていうのは、すごく嬉しいことだと思うんです。一歩一歩階段を登ってきてる須田君ですよ。それが自分で自覚できてるんじゃないですかね。」
「お髭先生」で知られる笠原塾長の長い髭と髪は、だいぶ白くなったそうです。けれども、その言葉からは、変わりない情熱と揺るぎない信念が伝わってきました。
『有限会社 ねば塾』 TEL:0267-68-4428

